これにて

老母は、まだ痴呆まではいってないが、徐々に子どもにかえっている。
親の老いをみるのはしんどい。
百万回聞いたような昔の話をくどくどと聞かされるとき、なんでもないことができないとき、なんでもないことに執着するとき、記憶や思考の回路が思いがけないつながり方をするとき・・・・情けないような、いたましいような、理不尽な怒りにも似た感情がわいてくる。
これからさき、いい方向にむかうことはありえない。
どうなっていくのかを考えると暗澹たる思いにもなる。

が、最近はわたしの気持ちの中で、一つのステージを抜けつつあるらしい。
母の今が、無邪気で、かわいく思えるようになってきた。
まあ、これもいつまで続くかわからないが。

創作へ向かう気持ちがなかなか保てない。
若い方の台頭に、もうわたしの居場所はないようなマイナス思考におちいることもある。
が、すばらしい映画をみたとき、すばらしい本を読んだとき、仲間の励ましを受けたとき、どこか奥底でふつふつとうごめくものがある。
それに、知らず知らず自分が人間観察をしていることに気づいたとき、ああ、わたしって、やっぱり人間が好きなんだな、と思う。
出版にいたるようなものが書けるかどうか。ふたたび、みなさまに、本をだします、とお知らせができる日が来るのか・・それはわからないが、細い糸でも途切れないようつなげていきたいと思っている。

とにかく、わたしは元気です。
それでは、みなさま、これにて

エネルギー問題

といっても、地球資源のことではなく、わたしのこと。
このHPは2002年夏の開設だ。
HPという場を、まるで新しい玩具のように楽しんだ。
あのころは、前のめりにあれこれ発信したり、過激な発言をしたり、あるいはあちこち出かけたり、いま思えばずいぶんエネルギッシュだったなあ(遠い目)

あれから6年。
6年って、短いようで長い。
おぎゃーとうまれた赤ん坊が小学校に入学する、それだけの年月なのだから。
6年のあいだに、体力、気力の減退、家庭の状況の変化・・・・
妻であり(これはかなり省エネしているが)、成人しているとはいえ4人の子の親であり、3人の孫の祖母であり、そして、未だに(!)娘でもある。
その「娘である」ことの比率が確実に増大している。
そんなこんな、わたし本体のエネルギーが減少している中、どうやって配分していくか。
たとえば、いろいろな会に所属したり、会合に出かけたりすれば、いろいろな方から刺激をいただき、充電できる。
しかし、それなりの責任も負うし、それなりの放電することにもなる。
おなじく、HPも情報を発・受信することができるのだが、それなりの時間と労力をついやす。

そのバランスがだんだんとりにくくなってきた。
所属団体なら会費だけ払う幽霊会員になるという手もある。
HPも、どっちみち、小さなサイトなのだからほったらかしにしていれば、そのうち、来訪者もなくなるだろう。
いずれ時期が来たら、また、復活すればいいだけのこと。
だれも責任追求などしない。政治家の出処進退じゃないのだから。
しかし、わたしの性格として、そういう中途半端なことができない。
やるならチャンとやる。できないなら、潔く撤退する。

このところ、ずっと悩んできた。
というほど、深刻に考えていたわけではないが、頭のすみっこで自問自答を繰り返してきた。
なにを大事にするか。なにを優先するか。

結論。
創作・読書。これだけははずせない。
エネルギー配分を上手にして、ながく続けたい。
所属同人は、きりのいいところで退会しよう。
ということは発表の場が減るということだが、しかたがない。
児童文学の協会は、継続しよう。
送られてくる機関紙から情報も得られるし、細い糸であっても、つながれているという安心感もある。
地元の、自分のペースでできること、たとえば作文指導のようなことは、要請があるかぎりは続けよう。
そして、当HPは今月末をもって、終了することとします。

リンク先各位にお知らせするべきとは思うが、すでに、消滅した、あるいは開店休業状態のサイトもあったりするので、申し訳ないが、ここをもって終了案内とさせていただきます。
長い間、遊んでくださって、ありがとうございました。
今後も、バーバままとして、みなさまのサイトにお邪魔することがあると思います。
勝手なお願いですが、これまで通りよろしくお付き合いくださったら、嬉しいです。
また、気がかわって再開することがあるかもしれません。
その節はよろしくお願いもうしあげます。



局地的豪雨

先日は関西からの帰途、三島付近の局地的豪雨のあおりをうけたが、今日は当地が大変なことになっていたらしい。
らしい。というのは、夕方まで老母のところへ出かけて留守していたから。
でも、行きは、峠をこえたり、海のすぐそばを走ったりするとき、ワイパーが利かないほどの土砂降りで大変だった。
まるで映画「ポニョ」の一場面みたいに。
でも、走っているときって、そこだけ局地的に降っているのか、もっと広い範囲なのか、わからないんですよね。
うちに帰ってからニュースで、あらあら・・・と知った次第。
もし、ニュースでご心配いただいているようでしたら、うちは大丈夫です。
ありがとう。

ふだんはまったく気にならない程度の土地の高低の差が、こういうとき、ものすごく大きなことになってしまうんですよね。
大雨のとき、台風のとき、雷、地震。
自然の脅威をあらためて感じます。
そして、もっと自然や気象の変化に敏感にならなければ、とも。

刺激的な二日間

このところ、母の老いやら、自分の創作意欲の減退やら、なんとなくテンションさがりっぱなしの日々がつづいていた。

土曜日。あくびさんがチケットをまわしてくださって、大阪厚生年金会館で、☆新感線の『五右衛門ロック』を観劇。
いやあ、もう、古田新太をはじめ、元気一杯舞台中暴れまわる役者さんたち。
その中で、どっしりと重厚な北大路欣也御大。
若さではじけている森山未来クン。(かわゆい♪)
笑い。迫力ある殺陣。ド派手な演出。
はちゃめちゃなストーリー。なのに、見終わって、なにか心にずしんと来る。

夜は、一人で心斎橋近辺を歩く。
おお、これか、グリコの看板!
週末限定の遊覧船が、両岸のネオンが映る川面を走っていた。

翌日はプレアデスの例会。
会の今後について。
そして、たっぷり時間をかけての合評。
ううう、頭の中が・・・・過充電状態。

いつも参加する二次会をパスして、新幹線京都駅へ。
時刻表示の下に、「三島・熱海間の激しい雨で運転見合わせしていたが、さきほど再開」
5分ほどの遅れで運行しているらしい。
おお、なにも知らなかったが、ラッキー!と乗り込んだ。
名古屋まではスムーズに来たものの、三河安城についたところで停まったまま、なかなか発車しない。
アナウンスによると、また、三島付近の豪雨で運転見合わせ。
各駅ごとに新幹線が停止しているため、それが動き出すまで運転できない。と。
つまり、糞詰まり状態というわけね。
こっちではまったく雨の気配もないのに。
ややあって、となりの線路にのぞみも停止した。
しばらく様子をみたが、時間がかかりそう。
そうだ。在来線が併走しているハズ。
列車をおりて改札へむかう。
在来線乗り換え口は、150メートルほどむこう。
トコトコとあるく。こうしているあいだに動き出していたら、癪だな。と思いながら在来線で豊橋につく。
予定より一時間おくれ。
たぶん、戻ったとしてもたいした額ではないだろうと、精算はせずに改札を出る。
(これ、正解だった。乗り換えの場合、戻るのは特急料金の差額分だけ。でも、三河安城・豊橋間は差額ゼロなのだ。)
あとでニュースを見ると、結局、最大6時間も足止め状態だったらしい。
よかった、こだまで。

とまあ、刺激的な二日間だったが、おかげですこし元気がでてきた。気がする。
さ、がんばろ。

児童文学におけるリアリティのありか

児童文学について研究する方たちが所属する「児童文学学会」があり、毎年活発な研究大会が開かれています。
今年は、10月11・12日の二日間にわたって、愛知淑徳大学キャンパスにおいて研究大会がひらかれます。
今年のテーマは、「児童文学におけるリアリティのありか」というお題だそうで、各教室や講堂を会場に、講演、研究成果の発表やディスカッションなどが行われます。
で、わたしは、研究者でも学会員でもないのですが、招かれて、12日、午後4時半からの「ノンフィクションにとってのリアリティ」というラウンドテーブルに参加することになりました。
ラウンドテーブルというのは、要するにテーブルを囲んで、その場に集まった人たちが自由に話し合う。という形式のようで、最初に発言者として、それぞれ研究者である武藤清吾さんが動物文学について、奥山恵さんが伝記文学について、そして、執筆者の立場からわたし、うみのしほが、折り鶴2冊の取材と執筆を通して感じたことを短く発表したあと、自由討議にうつるのだそうです。
学会というのも、ラウンドテーブルというのも、はじめてのことで、どうなることやらわかりませんが、こういう会に参加することで、ちがった視点、学びが得られるかも、と期待しています。
興味のあるかたがいらしたら愛知淑徳大学にお問い合わせの上、ご参加ください。
発言者のわたし、なんせ、あの本が出版されたは10年前、取材をはじめたのは12年もまえのこと、かなり記憶もあいまいになっているのですが、レジメを用意したりするうち少しずつ思い出しつつあります。
動物文学、伝記文学(キュリー夫人を扱うそうです)についても勉強しておかなくては。



そうそう。『おりづるの旅』が重版かかって9刷になりました。
われながら、すごい!
それこそリアリティのありかとしては、執筆者として、売れ行きのことまで考えて書いていたわけではないので。

毎年、この季節になると、たまにしか会わない義兄に
「原爆の慰霊祭、折り鶴の像が写ると、しほさんがいるんじゃないかと思って見るよ」
と言われます。
「いえ、取材以来、慰霊祭には行ってません」
と答えているのですが、どうしてそんなこと聞くのだろうと思っていたら、
「だって、招待されるんじゃないのかね」
え。え”−!
サダコ本は、もう何十冊と出ているし。いちいち、執筆者を呼んだりしてませんって!
あまりにリアリティのないことで、苦笑するしかないのですが、義兄が、わたしの本を好意的に受け取ってくださるのはありがたいことです。

本を出すということは、その内容すべてに責を負うこと。
その責は、執筆のときだけでなく、ずーっとあとあとまでついてくるのだな。とあらためて感じています。

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